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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
今日は味噌の誕生秘話やルーツを辿っていきたいと思います。
味噌は日本人の食文化を支えてきた日本にしかない伝統的発酵食品です。その味噌のルーツは、二つの説があり、一つは古代中国や朝鮮半島から渡ってきた調味料『醤(しょう/ひしほ)』と深い関係があるといわれています。
醤は獣や魚の肉をつぶし、塩と酒をまぜてつもに漬け込み、100日以上熟成させたもので、今の醤油やソースと同じように使われていたそうです。紀元前700年ごろの周王朝には醤を専門につくる役職があり、王家の正式な料理『八珍の美』(8種類の基本料理)には120かめもの醤が使われたと記録に残っているほどです。醤は大変格式のある高い調味料だったのです。紀元前1世紀頃になると、大豆や雑穀を発酵させた『鼓(くき/し)』が作られるようになります。
醤や鼓は630年遣唐使により中国から伝来したとされています。醤や鼓の文字が、初めて登場する『大宝律令』(701年)には、中国にはない『未醤』よいう言葉も見られます。これは、醤に日本人が工夫を加えた新しい調味料で、味噌の前進ではないかと考えらています。
これらの醤の源とされる食品は日本や東アジアを中心に数多く残っています(豆板醬、甜麵醬、コチュジャン、魚醤、草醤、穀醤(味噌のルーツ))。
味噌に発展したのは、日本独自で、醤になる前の熟成の途中のものが、とても美味しかったので、末だ醤にならずもの未醤(みしょう)みしょみそと変化したにではないかといわれています。
もう一つの説は大豆を使った味噌が、弥生時代(紀元前400年~250年頃)に誕生したと言われています。それ以降は、どんぐりで作った『縄文みそ』が、縄文人の生活跡から発見され、縄文時代後期から弥生時代にかけて、遺跡から穀物を塩蔵していた形跡も見つかっています。古墳時代(250年頃~590年頃)からは、麹発酵の技術を加えたものになったとされています。
中国伝統の味噌、『黄醤(ホワンジャン)』は、大豆と塩だけで作る大豆赤みそで、日本の麹に代わる材料はないことを考えると、醤を基に日本独自の発酵の方法として、麹を加えたのが味噌の始まりと考えられます。原点が中国、味噌の完成は日本ということですね。今日も最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
参考資料:味噌大全 渡邊敦光