• 塩の役割

    こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡

    味噌作りにおいて『塩』はどのような役割を果たしているのか調べてみました。

    近年、味噌はメディアなどに取り上げられ、身体に良いことで見直されてきてはいますが、まだまだ味噌の消費量は減少していく一方で、その背景には、食文化の多国籍化とやはり風評被害ともいえる塩分問題も関係しているようです。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    『味噌汁は身体に良いんだろうけど、塩分が気になってね。。。』こういった声を良く耳にします。

    実際味噌料理を作る時に、大量の味噌を使うことはないので、塩分の量は多くはなりません。

    お味噌汁1杯の塩分は約1.2gで一品の料理としてはほかの食品に比べても実は少ないのです。1回の食事に1杯なら、食塩摂取量の目安とされる塩分量(男性9g未満/女性7.5g未満)を味噌汁のためにオーバーしてしまう心配はありません。

    味噌になぜ塩が必要なのか?塩の役割を探っていきましょう!

    味噌作りにおいて、塩を入れる一番の目的は『ばい菌』を締め出すことです。塩を入れることで、腐敗を防ぎます。塩には発酵菌だけが生きられるバリアを作り出す働きがあるといわれています。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    よくお店の玄関に塩を盛ったり、相撲の土俵に塩を撒いたりするシーンを見たりしますが、『塩はその場を清める』力があることで使用されたりします。あと自分の家などに望ましくない人物がやってきて、不愉快な思いをした時に、相手が帰ったら『塩を撒け!塩を』なんてセリフをドラマなんかでも聞いたことがあるかと思いますが、相手が持ち込んだ良くない影響を塩を撒いて消せという意味だそうです。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    味噌の場合もそれらと似ているところがあり、発酵に必要な微生物を増やしたり、有害雑菌を寄せ付けないためであり、塩を入れることでほとんどの雑菌は活動出来なくなるということ。これはとても重要な役割をしていますよね。

     

     

     

     

     

     

     

     

    比較的塩分の高い辛口味噌は12%前後でこの塩分の働きで微生物の働きを抑えられるため熟成期間が長くかかりますが、それだけ塩分が馴染んで、まろやかな『塩慣れ』した味噌に仕上がります。

     

     

     

     

     

     

    また味噌作りにおいて、塩と麹はシーソーのような関係になっています。塩を増やすと麹を減らし、塩味や酸味、コクのある味噌が完成しますが、麹を増やすと塩を減らし、麹の甘味と旨味が優越になります。

     

     

     

     

     

    塩の役割はとっても大切であり、麹や大豆と同じく、味噌作りにおいて、なくてはならない存在だということですね。

    次回はさらに味噌と塩の関係について深く調べていきたいと思います。

    最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

  • 大豆の役割

    こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡

    今日は味噌において、大豆はどのような役割をするのか調べてみました。

    大豆は味噌や醤油、納豆、豆腐など日本人にとって大変馴染みのある食物です。大豆は旨味成分を作る役割をします。なので味噌の出来栄えは大豆の善し悪しが左右します。良い味噌を醸造するためには、良い原料を使用することが必須条件ということですね。

     

     

     

    では美味しいお味噌になる素質を持った大豆とはどのような大豆なのでしょうか。

     

     

     

     

     

    それは、まずは国産であること。国産大豆は炭水化物やたんぱく質のバランスが良く『糖質の多い大豆の品質』であります。海外産の糖質の少ない大豆の品種では、甘みもコクもない味噌もどきなものができてしまいます。美味しい味噌には必ず糖分の多い大豆を使うことが甘く、コクのあるお味噌に仕上がります。国産でも大粒のもの、煮上がりが早く済むという理由で収穫から1年以内のもののほうがおすすめといわれています。大粒の方が大豆の皮の割合が少なくて済んで、雑味が減ります。

     

     

     

    日本の大豆が優秀なことは世界でも有名で、明治時代初年、ベルギーの首都ブリュッセルで開かれた万国博覧会に出展したところ、これを分析した海外の学者があまりに豊富なたんぱく質の量に仰天し、『畑の肉』と評価したのは有名な話しです。大豆の表現する代表的なキャッチコピーとして有名ですよね。

     

     

     

     

    炭水化物やたんぱく質の量以外でも大豆の吸収性の良さも影響します。どんな大豆でも長時間煮るとすぐにやわらかくはなりますが、色が悪くなる、たんぱく質が変質するなどの理由で好まれてません。吸収性を左右するのは皮の厚さですから、皮の薄いものが味噌用大豆とした適していることになります。

     

     

     

     

     

    大豆のへそのいろも大切です。大豆のへそとは収穫される前に茎と繋がっていた部分です。

    大豆はこのへそを通じて茎から養分を受け取り、さやの中で育っていました。まさに胎児と母体のような関係といえましょう。じつはこのへその色が味噌にとって異物混入と間違えられやすいので、いろの濃い味噌以外ではどの味噌メーカーでも色の白い大豆を使います。この他にも、粒が大きい、香味が豊か、煮上がったあとパサパサ間がないことなどが、味噌作りに適した大豆の条件としてあげられます。

     

     

     

     

     

     

     

    『畑の肉』と呼ばれた日本国内で生産された大豆ですが、日本の流通する味噌の全体量からすると、ほんの10%にすぎません。これは絶対量が不足しているからであり、残りの90%は輸入に頼らざるをえないのが現状です。主な輸入先は、アメリカ、カナダ、そして今ではブラジルからも輸入されていますが、遺伝子組み換えをしていないものに限られています。かつては中国産大豆が国産に次いで味噌作りに適しているという理由で大量に輸入されていましたが、中国経済の発展に伴いい穀物政策の影響で中国大豆の価格が変動し、さらに原産地を気にする消費者も多く、輸入量は減っています。

     

     

     

     

     

     

     

    どんなものにも当てはまることではあると思いますが、美味しい味噌を作るための大豆選びは、素材と鮮度の良さがとても重要だということがわかりました。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

    参考資料:味噌大全 渡邊敦光

  • こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡

    今日は味噌の歴史その② 

    室町時代から現代までに触れたいと思います。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    室町時代(1336年~1573年)になると、急速に味噌が日本社会に浸透していったといわれます。大豆は中国大陸東北部を原産地とする作物で、土地が痩せてもいても栽培できる大豆・稗・粟の栽培奨励策が出され、それによって大豆の生産量が増えました。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自然栽培で作っていた麹菌も安定した麹菌作りが出来るようになってきたので、農民たちが自家製の味噌を作るようになり、味噌が保存食として、庶民の生活のも少しずつ普及してきました。また当時から定期的に襲ってくる干ばつや飢餓などの際、味噌を自家醸造して2年~3年分蓄えてあることが大きな支えとなったため、農家はもとより武家屋敷などでもみどの仕込みを定期的に行うことはたしなみとして奨励されるようになりました。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    また現代に伝わる基本的な味噌料理のほとんどが、この時代に作られたと言われています。 『武家にては、必ず飯わんに汁かけ候』というように、ご飯に味噌汁をかけて食べるのが、普通だったようです。更に、室町時代に末期には、味噌を造る過程から醤油が発明されと言われています。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    武将たちが天下を取ろうとしのぎを削った戦国時代。戦国武将は戦場での食料に味噌を持参しました。味噌は調味料であるとともに、貴重なタンパク源で、戦闘の能力はこれらのエネルギー源に大きく左右されます。戦場で保存可能な栄養食であったこともあり、味噌玉として携帯し、おかず変わりにかじったり、お湯にといて味噌汁にしたり、干したり、焼きなりして携帯しやすくしたて重宝されていました。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人と豆味噌が盛んな地方で生まれ、武田信玄が信州味噌の基盤を造り、伊達政宗の奨励した日本初の味噌工場『塩噌蔵(えんそぐら)』は今も仙台みそとして、その地方で愛され続けています。

    戦国時代には『汁講』という味噌汁パーティーがあったそうです。客人はご飯を弁当箱に詰めて持参し、もてなす側の主人は味噌汁を用意し、鍋のまま客人の集う座敷に持ち出され、みんなで賞味し、酒を酌み交わす宴。歌ったり踊ったり楽しい時間を過ごしたと言われています。単に汁かけ飯を賞味し合っただけではなく、親睦や情報交換の場で、味噌がコミュニケーションツールになっているところに、社会への浸透ぶりが伺えます。

     

     

     

     

     

     

     

     

    江戸時代に味噌は全ての日本人の日常の食生活に欠かせない調味料として定着していきます。江戸の人口が50万人に達し、味噌の需要に対して、江戸や近郊で取れる生産量では追いつかなくなり、三州味噌や仙台味噌が海路で江戸まで運ばれ、味噌屋は大繁盛しました。『味噌買う家は蔵建たぬ』という言葉があったように、武士・農民・商人は自家醸造しており、味噌を買うのは庶民だったようです。

     

     

     

     

     

     

    『味噌の商品化』がおこったのはこの時代です。また、江戸の人口は女性より男性が多く、外食が発展し、味噌を使った料理も同時に発達していきました。味噌汁が庶民の味となって飲まれ始め、味噌が生活に馴染んでいき、『東海道中膝栗毛』には各地の味噌料理が紹介されます。

    第二次世界大戦の頃に、味噌は貴重な米を使用することから製造は制限され、一般市民が味噌を製造することも禁止となっていた時代もありました。戦後の高度成長と共に人々の食生活が西洋化し、和食離れが起こりました。

     

     

     

     

     

     

    昭和29年(1954年)に学校給食法が制定されると主に小学生を対象にパンを主食にメインの副食を動物性食品という組み合わせの給食を食べたことにより、学童の体格は身長・体重が飛躍的に向上し、その一方で、学校給食で育った世代は洋食やパンを好み、米飯中心の日本食から洋風食へと変わっていきました。これにより国民の米消費量が下降の一途を辿っていき、これにつれて味噌の消費量も落ち込んでいきます。

    昭和45年一世帯当たり年間購入量 15.7㎏ 1人当たり 4㎏

    昭和63年一世帯当たり年間購入量 10㎏   1人当たり 2.7㎏

    平成23年一世帯当たり年間購入量 6.2㎏  1人当たり 2㎏

    味噌の生産手段も大きな変化が起こりました。機械化の普及、温醸技術の確立、殺菌手段の進歩で味噌は『作るもの』から『買うものに』になり、味噌の容器は樽から冷蔵庫で収納しやすいカップへと変化します。だしを取る手間を省いても美味しい味噌汁を作ることができる『だし入り味噌』やフリーズドライの味噌汁も登場し、手軽に簡単な味噌汁が登場しました。

     

     

     

     

     

     

     

    食の欧米化により今は味噌にとっては恵まれた環境とは言えない時代ですが、2012年日本の和食がユネスコの無形文化遺産として登録されたことにより味噌が国内でも再び、世界からも注目を浴び始めています。日本のみならず世界で健康志向が高まっていることから、海外からの需要も徐々に増えています。味噌はどのような国で輸出され、どのような国で注目を浴びているのか、またこちらのブログにてアップしたいなと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

     

     

     

     

     

     

    参考資料:『味噌大全』 渡邊敦光 東京堂出版 

  • こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡まだまだ朝晩冷える日が続きますね。朝はやっぱりお味噌汁。僕の朝はいつも、生後三か月の愛犬と遊んでから、美味しいお味噌汁でエネルギーをチャージする”ルーティン”は米に毎日欠かせないです。

    今回のブログは味噌の歴史その①です。

    日本人にはとっても馴染みの深い、当たり前のように毎日飲んでいるお味噌汁は実は中国から伝来された説もあることを前回のブログで触れましたが、大陸から伝わった発酵技術も様々な試行錯誤を経て日本に根付き、日本独特の原材料と配合によって『味噌』が製造されるようのなってきます。その味噌の日本での歴史に触れたいと思います。それは遠い昔、飛鳥時代までさかのぼります。

     

     

     

     

     

    飛鳥・奈良時代に遣唐使によって伝えられたとされる古代中国の醤は、大宝1年(701年)に天武天皇が定めた大宝律令の中に『醤院』のせいがあることから。当時の貴族の食生活の中に『醤』というものがあったことがわかります。『正倉院大日本古文書』には、地方から租税として『醤・未醤』を徴収していた記載があり、天平の時代になって庶民の間にも拡がっていたようです。また奈良・平安時代には『醤・未醤』の名前で地方の物産として使われており、この『未醤』という単語は中国の言葉にはなく、『醤』に日本人が手を加えた新しい調味料で、日本人が手を加えた新しい調味料で、現在の『味噌』にあたると考えられています。

     

     

     

    平安時代に入ると、日本独自の調味料として『味噌』が登場します。『延喜式』(927年)に、当時の高級官僚には『味噌』は調味料として使うものではなく、食べ物付けたり、なめたり、かけたりして食べられ、また薬としても使われていたようです。当時の味噌はなかなか庶民の口には入らない高級品でした。贈答品としてお役人の家に届けられたという記述も残っているそうです。平安時代中期にに制定された律令の施行細目である『延喜式』には、京都東市の醤屋と西市の未醤屋が記載されています。この頃から京都発祥とされている白味噌が誕生し、甘味が強い白味噌は貴族達に好まれて食されました。甘い物が少なかったこの時代では白味噌は貴重品だったそうです。

     

     

     

     

     

     

     

    『味噌汁』というあたらしい調理方法が誕生したのは鎌倉時代でした。当時の禅宗のお寺では、来日した中国の僧の影響もあってすり鉢が使われるようになりました。『粒味噌』をすり潰したところお湯に溶けやすく多くの食材との相性が良いことから、味噌汁として利用されるようになりました。この味噌汁の登場により、一汁三菜という鎌倉武士の食事の基本ができ、その後受け継がれていきます。しかしまだ武家や僧侶といった特権階級の食事であって、庶民に普及していくのは室町時代になってからでした。室町時代以降は味噌の発展その②でご紹介します。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

  • 味噌のルーツ

    こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡                           

    今日は味噌の誕生秘話やルーツを辿っていきたいと思います。

     

     

     

     

     

     

     

    味噌は日本人の食文化を支えてきた日本にしかない伝統的発酵食品です。その味噌のルーツは、二つの説があり、一つは古代中国や朝鮮半島から渡ってきた調味料『醤(しょう/ひしほ)』と深い関係があるといわれています。

     

     

     

     

     

     

    醤は獣や魚の肉をつぶし、塩と酒をまぜてつもに漬け込み、100日以上熟成させたもので、今の醤油やソースと同じように使われていたそうです。紀元前700年ごろの周王朝には醤を専門につくる役職があり、王家の正式な料理『八珍の美』(8種類の基本料理)には120かめもの醤が使われたと記録に残っているほどです。醤は大変格式のある高い調味料だったのです。紀元前1世紀頃になると、大豆や雑穀を発酵させた『鼓(くき/し)』が作られるようになります。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    醤や鼓は630年遣唐使により中国から伝来したとされています。醤や鼓の文字が、初めて登場する『大宝律令』(701年)には、中国にはない『未醤』よいう言葉も見られます。これは、醤に日本人が工夫を加えた新しい調味料で、味噌の前進ではないかと考えらています。


     

     

     

     

    これらの醤の源とされる食品は日本や東アジアを中心に数多く残っています(豆板醬、甜麵醬、コチュジャン、魚醤、草醤、穀醤(味噌のルーツ))。

    味噌に発展したのは、日本独自で、醤になる前の熟成の途中のものが、とても美味しかったので、末だ醤にならずもの未醤(みしょう)みしょみそと変化したにではないかといわれています。

     

     

     

    もう一つの説は大豆を使った味噌が、弥生時代(紀元前400年~250年頃)に誕生したと言われています。それ以降は、どんぐりで作った『縄文みそ』が、縄文人の生活跡から発見され、縄文時代後期から弥生時代にかけて、遺跡から穀物を塩蔵していた形跡も見つかっています。古墳時代(250年頃~590年頃)からは、麹発酵の技術を加えたものになったとされています。

     

     

    中国伝統の味噌、『黄醤(ホワンジャン)』は、大豆と塩だけで作る大豆赤みそで、日本の麹に代わる材料はないことを考えると、醤を基に日本独自の発酵の方法として、麹を加えたのが味噌の始まりと考えられます。原点が中国、味噌の完成は日本ということですね。今日も最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

    参考資料:味噌大全 渡邊敦光

  • 発酵のはじまり

    発酵のはじまり

    こんばんはみそソムリエ川辺です☆彡コロナウイルスの影響で春の選抜高校野球までもが中止になりました。すごくショックで寂しいことですが、我々が出来ることはバランスの良い食事を摂ることや、しっかり睡眠もとって、出来るだけストレスを減らし、免疫力を上げ、健康でいることを意識して、ウイルスに負けないよう備えていくことですよね。一日も早く日常が戻ることを祈っています。

     

     

     

     

    今日は私たちの生活に必要不可欠な発酵のはじまりについて。味噌や醤油にお酒、漬物、キムチ、納豆にパンやワインにチーズやヨーグルトなどなど、発酵食品は私たちの生活には、欠かせない食品ばかりです。食品だけではなく医療品や洗濯洗剤、環境浄化、石油、水素やプラスチックの生産などの様々な分野での応用が期待されているそうです。では人類はいつから微生物を利用し、発酵食品を誕生させてきたのでしょうか?そのはじまりは、はっきりとわかっていないそうですが、諸説は沢山あるようです。どの諸説も偶然の産物だといわれていて、どれも自然の力で偶然に発見したものだったと考えられています。

    ある諸説では、発酵食品で一番古いものはお酒といわれています。最初のお酒は『猿酒』と呼ばれる、猿が樹木の木の穴などにためておいた果実が、自然発酵してお酒になったものだそうです。その様子を目の当たりにした古代人たちが、やがて発酵食品の暮らしを取り入れるようになったそうです。独特のニオイや酸味のあるものを最初におそるおそる口にした人は本当に勇気がいったでしょうね。英語で発酵を『Firmentaition』ラテン語で『沸く』『沸き立つ』という意味の『fervere』がもとになっています。アルコール発酵の時に炭酸ガスが泡のように盛り上がる姿から名付けられたと考えられ、このことから発酵食品の起源はアルコールだったという説が有力です。約8000年前からワインが作られていたと考えられていて、人類よりも古くから自生していたといわれるブドウの木から実が地面に落ちて潰れ、果皮に付いている天然の酵母によって勝手に発酵したことがワインの誕生のきっかけになったといわれています。その後潰れたブドウがヨーロッパでワインを醸造するまでに至ったそうです。

    発酵乳も偶然の産物のようです。約6000年前から中央アジアの草原の遊牧民たちは、家畜の乳を生活に利用してきました。彼らはおそらく絞った乳が発酵し、今でいう乳酸飲料やヨーグルトのようなものを、変化するのを偶然発見し、利用したのでしょう。中央アジアの草原地帯は湿度が低く乾燥してため、カビや腐敗菌が発生しにくい気候ですが、乳酸菌が沢山生息しているらしく、乳酸発酵がスムーズに進みやすい環境だそうです。遊牧民の知恵と工夫のおかげで、大切な栄養源である乳を発酵し、長期保存できるようになったということです。

    偶然の産物から先人たちの工夫や試行錯誤によって、今では当たり前にスーパーやコンビニで並ぶ味噌や醤油、ヨーグルトやチーズ、ワインにビールなどなどの栄養価の優れた食品に生まれ変わり、世界各地で伝統的に受け継がれている食文化を形成していったということですね。

    では次回は味噌のはじまりについて触れていきたいなと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

    参考資料:『発酵』小泉武夫(中公新書)

  • 発酵とは

    こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡

    今回は味噌に深く関わりのある『発酵』について、深く調べて行きたいと思います。

     

    味噌、醤油、漬物、納豆、チーズ、ヨーグルト、パン。私たちの生活の周りには発酵食品が溢れています。この栄養価の高い発酵食品が私たちの健康を支えているといっても過言ではないと思います。ここ数年、健康意識の高い人が増えてきて、それに伴って味噌やその他の発酵食品がテレビやメディアで取り上げられることもよく見られるようになりました。味噌屋に勤めるものとしては嬉しい限りです。健康にとって欠かせないこの『発酵食品』の『発酵』とは何なのかをご紹介しましょう!

     

     

     

     

     

    発酵とは・・・目には見えない微生物(菌)が活動することによって、物質が変化することをいいます。微生物は活動するエネルギーを得るためにエサを食べ、違うものにして、排せつします。この排せつした物が人間にとって、価値が高いのです。発酵は人間の身体に好影響をもたらす善玉菌(発酵菌)が増えるということ。逆に、『腐敗』は食材の味を落としたり、人間の身体に悪影響を与えたり、食中毒を引き起こしたりなど、悪玉菌(腐敗菌)が増えて、人間にとって良いことはなにもありません。発酵も腐敗はも”微生物が増える”という過程では同じではありますが、微生物が違うだけでもこんなにも違いがあるんですよね。発酵によって得れる価値・メリットとは何なのか。

    【発酵の5つのメリット】

    ①美味しさUP   

    微生物の働きによって、食材が発酵すると人間にとって有益な旨味や香り、甘味などの美味しさがUPします!

    ②栄養価UP

    発酵の過程で食材にビタミンなどの新たな栄養分が付加されます。そのため、発酵前よりも栄養価がUPします!

    ③保存性UP

    発酵によって、増える微生物は、他の菌の繁殖を抑えて微生物のみを増やそうとします。そのため有害な腐敗菌の増殖が抑えられ、食べれる状態で長期間、食物を保存することが可能になります。

    ④吸収率UP

    発酵で微生物が生成する酵素の働きで、たんぱく質やデンプンなどが分解され、栄養素として吸収されやすくなります。

    ⑤腸内環境改善

    発酵食品は腸内環境のエサとなるオリゴ糖や食物繊維を多く含みます。そのため、腸内環境の改善に役立ちます。

     

    もともと発酵は、保存技術のない時代に食材を保存するための技術として考えられ、発展してきました。しかし今では、それにとどまらない多くの魅力を持っていることがわかりましたね。次回のブログでは発酵の歴史についてもご紹介したいと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡

    参考資料:『発酵』小泉武夫(中公新書)

  • 2020年2月3日に発売された”実践料理研究家” 岩木みさき先生が書きあげた「奇跡の発酵調味料 みその教科書」に、大源味噌を掲載していただきました。

    岩木みさき先生は、 “みそ”に魅せられ日本各地のみそ蔵60ヶ所を100回以上を訪問し、日本の伝統調味料みその魅力を伝えたいと
    精力的に活動されている本当に素敵な女性です。

    昨年夏から時間をかけてレシピやスタイリング、そして文章も全てに書き魂込めて制作された貴重な1冊になってます。

    特に”みその文化財”の内容は極めて貴重な内容が書かれてます。
    その他、ありとあらゆる視点からみそを探求した”みその教科書”、是非みなさん、読んでいただけたら嬉しいです。
    https://misotan.jp/20200203-2/

  • こんにちは みそソムリエの川辺です☆彡

    先日、大阪の南の方面、奥河内の『大地の里友邦』という、のどかな田舎でお味噌を手作りしてまいりました。コロナウイルスの影響なのか、参加者は僕と嫁さん二人だけでしたが、とても親切な講師の方と和気あいあいで、とても楽しめました。味噌作りはシンプルなようで奥が深く、それぞれの場所でそれぞれの拘りがありますので、毎回発見があり、とても勉強になります♪最後に自分が作った味噌の完成品でお味噌汁を頂きましたが、これはもう格別の味わいで、いまから出来上がりが楽しみであります♪

    さて今回も前回に引き続き、麹についてご紹介していきたいと思います。以前にもご紹介いたしましたが、味噌は原料・味・風味・色などによってさまざまな種類に分けることが出来ますが、麹を不可欠とする点は共通しています。米麴を入れれば米味噌に、麦麹を入れれば麦味噌に、大豆のすべてを糖化すれば豆味噌になります。

    そもそも、味噌はなぜ麹をつかうのか?

     

     

     

     

     

    月並みなことを言いますけれども、麹を発明した方って本当に凄いなと思います。麹菌はもともと稲に住んでいる菌で、稲作の渡来と共に日本列島に入り込み、日本の風土が適していることから、自然界に広く生息し、日本の常在菌となったそうです。

    では味噌作りにおいて、麹の役割は何なのか。ずばりそれは『酵素を得るため』です。酵素とは、生物によって作られる高分子タンパクからなる有機触媒の総称で、その働きの違いからたくさんの種類があります。その働きとは物質の分解です。味噌においては、麹菌の『酵素』の力を借りて、大豆や米や麦などの原料の成分が酵素によって分解され、組成の軟化が生じ、素材が秘めている旨味と甘味を引き出す、とても大事な役割を担っているということです。そして、酵素による分解された分解生成物は、『酵母』や『乳酸菌』などの微生物の栄養分となり、味噌の味、香り、組成、いるなどを造り出していきます。ただ大豆とお米と塩を捏ねて混ぜたものでは味噌は完成しないということですね。

    麹菌が持つ酵素は、デンプン質を分解する酵素(アミラーゼ・甘味)だけではなく、たんぱく質を分解する酵素(プロテアーゼ・旨味)を併せ持つなど、世界的にも優秀な微生物と言われています。 

    僕は海外旅行に行くと最初の2日くらいは、パンケーキやパスタやピザ三昧で、洋食でも生きていけそうなんて最初は思うんですが、3日目くらいから、『味噌汁が飲みたい』、『醤油をかけた卵かけご飯が食べたい』ってなります。これは僕の主観なんですが、普段何気なく食べている味噌汁や醤油は、麹の働きによって得た旨味や甘味で『軽い中毒』になっているんじゃないかなと思います(笑)いつの間にか、味噌汁がないと生きていけない身体になっていました。でも身体が喜ぶ栄養満点な物で中毒になってるなら、幸せなことですよね。

    ここでちょっとした豆知識をご紹介!

    こうじ製品の中での漢字表記で『麹』と『糀』がありますよね。

    その使い分けはどう違うのか調べてみました。

    【”麹”と”糀”の違いについて】

    もともと麹は、中国の小麦粉で出来た餅にコウジカビが生育たもので、「麹」と表記されていました。これは麦に菊の花が咲くように見えることから、このような字が付けられたといわれています。その後、日本では蒸し米にコウジカビが生育して花が咲いたように見えることから、「糀」という字が作られました。現在では、学術的には「こうじ」を用い、種麹屋によって製品化されたものを「糀」と書くことが多いようです。そのため、「麹菌」と書きますが、「糀菌」とは書きません。

    それぞれに意味があり、ちゃんと線引きもあるようですね。では今日はこの辺で!最後まで読んでいただきありがとうございます!

    参考資料:『味噌大全』渡邊敦光(東京堂出版)

  • 麹について

    こんにちは、みそソムリエの川辺です☆彡 
    早いもので、2月もあと少しで終わりですね。今日は日本の発酵食品の代表格である味噌や醤油、清酒やみりんの原料となっている、発酵文化において、なくてはならない「麹 (こうじ)」についてご説明したいと思います。

    麹とは・・・

    味噌だけでなく、日本の伝統食に欠かせない菌の一種です。塩麹ブームなどもあり、麹は一般家庭でも多く認知されてきています。当店でも生こうじはとても人気のある商品であります。麹は蒸した米、麦などの穀物に麹菌というカビの一種を付着させ、繁殖しやすい温度、湿度などの条件下で培養したものです。

    カビと聞くと、人間にとって有害なもの、賞味期限がかなり過ぎた食べれないものを想像してしまいますが、このカビは、食品として食べることができる菌です。よく知られている美味しい菌には、乳酸菌や納豆菌などがありますが、麹もこれらの菌と同じように美味しいと感じられる菌の一種です。

    麹菌の正式名称は、和名で二ホンコウジカビ、洋名ではアスペルギルス・オリゼといい、麹は日本しかない国菌(国の菌)です。通常、麹菌と同じアスペルギルス属のカビはカビ毒を出します。なぜかこの麹菌だけは、毒を作るDNAが欠落しているので、発酵食品しか出せない、美味しい旨味や甘味成分を味わうことが出来るということです。

    この麹菌は日本の風土で育つ穀物と非常に相性が良いといわれています。麹菌はお米や麦や大豆に日本の田畑で育つ穀物にくっついて発酵します。洋名のアスペルギルス・オリゼの「オリゼ」は「稲」のこと。もともと稲の中に住んでいるカビなので、日本の風土には相性抜群ということですね。

    さらに、この麹をつくるための麹菌は「種麹」と呼ばれています。粉末状でやや黄みがかった色が特徴です。米などを原料に麹菌を培養し、醸造業界では、種麹のことを「もやし」、種麹をつくる種麹屋のことを「もやしや」と呼んでいます。これは麹菌が芽を出して白い菌糸が伸びていく姿がもやしににていることから「萌える」を語源にして,「もやす(し)」になったといわれています。麹には生麹と乾燥麹があります。また、麹を用いて発酵食品をつくることを「醸造」といいます。

    「麹」の名前の由来は、「かもす(醸す)」の名詞形「かもし」の転訛(てんか)と言われていますが、古来酒造りは、口噛み酒という原料の穀物を口中で噛んで容器の中へ吐き出して発酵させるという手段を使っていたそうです。この行為は、現在の麹の役目を果たせていたので、この噛む動作が古く麹の語源に結びつくものと考えられています。カムタチ⇒カムチ⇒カウジ⇒コージの転訛(てんか)とも言われています。

    主な麹

    【米麹】 最も一般的な麹で、日本酒や甘酒の材料。白米を蒸して麹菌を繁殖させたもの。玄米や分づき米を使用することもある。

    【豆麹】 豆味噌の材料。大豆を蒸して麹菌を繁殖させたもの。

    【麦麹】 麦味噌の材料。押し麦、丸麦を蒸して麹菌を繁殖させたもの。

    日本人にとって欠かせない、お世話になりまくっている麹、まだまだ奥が深そうですね。

    次回のブログでもまた麹に触れたいなと思います。

    最後までお読みいただきありがとうございました☆彡

    参考資料:『味噌大全』 渡邊敦光(東京堂出版)