大源味噌
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おはようございますみそソムリエ川辺です☆彡
今回は麹の役割のお話です。
発酵に欠かせない日本の伝統的な発酵食品の麹は、蒸した米や麦などの穀物に『麹菌』という、日本固有のカビを繁殖させたもので、そのルーツは奈良時代までさかのぼるほど、古くから日本の食文化を支えて来ました。
味噌や醤油、酒にみりんの原料として麹は使われています。飲む点滴と呼ばれる甘酒にも使われています。ではその日本の伝統的な発酵食品『麹』は、味噌を作る時にはどのような役割をするのか、今回ご説明したいと思います。
先ずはその米麴の作り方から☆
米麹の作り方は、いろんなやり方や製麹方法があるので、これが正しい作り方とは言えないそうですが、僕が蔵元の職人さんに教えて頂いた作り方では、
まずは米を一晩水に浸け、木桶で蒸した米を適温まで冷やし、蒸米に約20%の種麹菌をまぶし室に移します。その後、温室で温度などを調整するために手入れし、30℃から40℃を維持し、2日程度置き、ハゼ込み(カビの育ち具合)や香りをチェックし麹の完成です。
『米蒸し3年、豆炊き5年、麹と仕込みは一生』という言葉があるくらいで、麹作りを極めるには一生かかるほど、非常に繊細で奥が深いです。
※『切り返し』麹の温度を均一にするために行う作業
完成した麹というカビの一種は、人間にとって悪さをしない、食品として食べることが出来る特別なカビです。このカビがびっしり生えた『麴』は味噌作りにおいて、発酵のスターターの役割を果たしてくれます。
※米麴
麹菌は、熟成中にアミラーゼやプロテアーゼと呼ばれる酵素が出来ることにより、味噌の原料であるデンプンやたんぱく質などが分解され、ぶどう糖やアミノ酸、脂肪酸が生まれ、味噌の美味しさの秘密である『旨味』や『甘味』を作ってくれます。麹に含まれている酵素は、食材の栄養を身体に吸収する手助けをしてくれます。消化・吸収をスムーズに行うことで、胃腸の働きを助けると考えられています。さらに老化防止やがん、生活習慣病のリスクを抑える成分まで生み出してくれます。ちなみに味噌では、ぶどう糖は甘味の素、アミノ酸は旨味の素、脂肪酸は香り素となります。
※このアミラーゼは唾液にも含まれている消化酵素です。ご飯を何度も何度も噛んでいるうちに、ご飯が甘くなった経験はありませんでしょうか?あれは唾液中のアミラーゼが米を分解し、米の持つ甘さを引き出した結果に起こったことなのです。
さらにその麹菌が作った、旨味や甘味につられて乳酸菌や酵母など、他の発酵菌が寄ってきます。この乳酸菌や酵母が今度は味噌にとって、これまた大切な『酸味』や『香り』を作り出します。これが味噌特有の味の深みを作り出していくということなんです。
麹の役割とは、大豆・米・麦などが秘めた、旨味と甘みを引き出す重要な役割をしているので、味噌作りにとって、麹菌は絶対欠かせないですね。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡今回は味噌の醸造法について調べてみました
日本は全国で味噌の生産が行われていて、実はとても奥が深い味噌の世界。原料の違いや、仕込む時期から熟成期間までの気温や湿度、熟成方法、期間の長さによっても色合いや香味が微妙に変化するため、味噌の種類も様々です。
味噌の仕込みは、大豆を蒸煮して潰し、米や麦などの原料を麹菌を付着させ、温度管理をして繁殖させてつぶした大豆と麹、それに塩を混ぜ合わせて出来上がります。味噌を作る工程は人間が出来るのは、ここまでです。あとは麹菌や酵母や乳酸菌の力を借りて大豆、米、麦などの素材が秘めている"旨味と甘味"を引き出し、味噌になります。味噌作りはシンプルな工程が故に、奥が深いものであります。
さて、味を決める重要な要素である『発酵・熟成』には、二つの製法があります。天然醸造と加温する速醸という方法があります。
天然醸造とは、寒い時期に仕込んだ味噌を自然の環境の中で寝かせるもので、冬から春にかけては低温でじっくりと分解が進み、さらに夏にかけて気温が上がると徐々に発酵が進みます。そして秋口から冬にかけてさらに熟成させることにより、1年間という時間をかけることでふくよかな自然な旨味を醸し出し、味噌本来の奥深い香りが生まれます(発酵の最終段階、しかも熟成期間の長いものだけに生まれます)。仕上がります。
難しい言葉を使い過ぎましたが、平たく言いますと、仕込んだらあとは微生物にお任せして1年以上『ほったらかし』です(笑)。自然の温度で熟成させ、人工的に熱を加えたり冷ましたりしないということです。1年以上と時間はかかりますが、それによって塩味の角が取れてより味噌がよりマイルドになります。これは天然醸造ならではの、熟成内で味噌自身が塩の成分にもともとなかった、甘味と旨味を作り出すんです。
これに対して速醸法(市販されている廉価な味噌の製法)は、1950年の食糧不足、食糧増産体制の時に誕生しました。仕込んだ味噌を人為的に1~2か月加温することで、短期間で分解発酵をさせた後に、1ヶ月ほど冷やして味噌に仕上げます。温度が高いと微生物や菌の活動が活発になるため味噌の中の酵素が活性化し、味噌の風味にかかわる乳酸菌も繁殖しやすい環境になるためですが、風味や味わいは自然の気候の変化によって造られた天然醸造には敵いません。本来、味噌は1年以上寝かせなければいけないものを2、3か月で出来上がるので、生産量は約4倍になり、生産コストも大きく下げることが出来、全国に普及して行きました。大正4年に当時官史であった河村五郎氏によりみそ速醸法の特許を取得し、味噌業界の大きな変革をもたらしました。
河村五郎氏・・・熱仕込みといわれる速醸法は当時(大正)の東京での味噌のシェアを占めていた仙台みその製造法と似ていたので、早づくりの仙台みそ=早仙と呼ばれるようになりました。
また、麹造りは多くの手間と長い経験が必要とされた作業であり、大量に製麹することが難しく、味噌の大量生産のネックとなっていました。戦後の統制経済の中、国民の生活必需品である味噌は増産を迫られ機械製麹の必要性が注目されました。麹の熱に対して、人手による攪拌、小分け放熱という従来型の製麹方法に対し、機械制御が可能な『通風式製麹方式』という製麹方法が採用され全国に普及しました。
さらに現在市場に出回っている味噌は、速醸に加えて、出荷前に加熱処理などによって殺菌されたみそが多く、昔ながらの手間ひまをかけた『天然醸造』から得た味噌本来の力、時間と風土が育て上げる『活きた味噌 』の風味と味わいは得ることは出来ないということです。
冷めたお味噌汁を飲むと、天然醸造とそうでないものの差は歴然とします。天然醸造のお味噌汁は日本酒のようなキレがあり、飲みごたえがあります。そんな昔ながらの製法で、手間ひまかけた、拘りのい逸品のお味噌が当店でも多数取り扱いございますので、是非本物の違いをお試しください。
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
今回はみそ汁の塩分について調べてみました。
もともと味噌は、一度に大量に"味噌だけ"を食べることはありませんので、料理に使った時の塩分の量は多くありません。しかし、1970年以降『味噌は塩分が多い』『味噌は血圧を上げる』という、誤った説が通説となり、世間一般では、味噌は塩分が高いものと認識されるようになり味噌汁が敬遠されていた時代もありました。
塩分が高いとなると、どうしても身体に悪いのではないか?という疑問も生まれると思います。確かに店頭で接客していても、そういったお声をよく耳にしますが、実は最近のさまざまな研究結果から、味噌では血圧は上がることはなく、控える必要はないことが証明されているようです。
男女共に長寿日本一を獲得している長野県では味噌の製造が盛んで、味噌や味噌漬けを好んで食し、にも関わらず長寿日本一をとっているのは何故なのでしょう?
食塩と高血圧を長年研究されている、共立女子大学家政学部 食物栄養学科教授 医学博士である上原誉志氏によると、食塩の摂取で血圧が上がるのは、腎臓からのナトリウムの排泄量が少ないことが原因であることが、研究結果からわかったそうです。塩を多く摂ることよりも、排泄されないことの方が問題だということ。
1日に1~3杯の味噌汁を飲む方の血圧の平均値はほとんど変化がなく、むしろ味噌汁を飲むことで腎臓からのナトリウム排泄が促され、30%の減塩効果があるという結果が導き出されたそうです。みそ汁を飲むことで血圧が上がるということは一概には言えないということですね。
参考資料:『高血圧なら味噌汁を飲みなさい』上原誉志夫
厚生省では生命維持活動で必要な塩分は健康的な製品の男性で8.0g未満、女性で7.0g未満、高血圧な人でも6.0g未満とされています。みそ汁には塩分は1.2gと少なく、高血圧の人でも味噌汁の塩分を摂り過ぎることはないといえるのです。
資料:みそ健康づくり委員会『みそを知る』
決して多くはないみそ汁の塩分ですが、それでも気になる場合には具材を工夫することで、問題は解決されます。
気になる塩分を控えるためには、基本のだしをきちんと取ることによって塩分の摂り過ぎを防げます。市販のだしの素は手軽にだしが取れてとても便利でありますが、塩分が多く含まれているものがあります(顆粒出汁味噌汁1杯分の塩分約0.5g)。旨味の多い、かつお節や昆布、煮干しなどでだしを取り、濃い目にだしを効かせることでも、味噌を入れる量を減らすことで、減塩対策にもなります。またすだちやゆず、生姜などを絞って酸味を効かせたり、細く刻んで上にのせて香りよく仕上げるのも減塩につながります。
塩分の摂り過ぎで問題なのは、塩分中のナトリウムが高血圧の原因になるとされているためですが、ナトリウムとカリウムを同時に摂取すれば塩分が体外に排出されやすくなります。
カリウムの多いものは、ほうれんそう、春菊、いも類などが塩分の体内吸収を防いでくれます。また食物繊維の多いわかめ、ごぼう、こんにゃくなども同じように塩分を体外に排出する働きがあります。
さらに広島大学名誉教授・渡邊敦光氏によると、みそ汁を1日2杯以上飲む人は、そうでない人に比べて高血圧になるリスクが0.18倍と大幅に下がることが分かっているそうです。これは大豆に含まれるたんぱく質、そして褐色色素(メラノイジン)も血圧上昇を抑える働きがあるためです。味噌は塩分が含まれていても大豆の働きでこのような効果を期待出来るのです。
塩分を控えるという意味で、定食についているみそ汁を残したり、ラーメンやうどんのように、みそ汁の具だけ食べて、汁を残したりするのは本来間違いであり、食塩の性質を活用して発酵・熟成させた味噌の中の物質にはたくさんの効用があるのでもったいないことですね。
最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
味噌作りにおいて『塩』はどのような役割を果たしているのか調べてみました。
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近年、味噌はメディアなどに取り上げられ、身体に良いことで見直されてきてはいますが、まだまだ味噌の消費量は減少していく一方で、その背景には、食文化の多国籍化とやはり風評被害ともいえる塩分問題も関係しているようです。
『味噌汁は身体に良いんだろうけど、塩分が気になってね。。。』こういった声を良く耳にします。
実際味噌料理を作る時に、大量の味噌を使うことはないので、塩分の量は多くはなりません。
お味噌汁1杯の塩分は約1.2gで一品の料理としてはほかの食品に比べても実は少ないのです。1回の食事に1杯なら、食塩摂取量の目安とされる塩分量(男性9g未満/女性7.5g未満)を味噌汁のためにオーバーしてしまう心配はありません。
味噌になぜ塩が必要なのか?塩の役割を探っていきましょう!
味噌作りにおいて、塩を入れる一番の目的は『ばい菌』を締め出すことです。塩を入れることで、腐敗を防ぎます。塩には発酵菌だけが生きられるバリアを作り出す働きがあるといわれています。
よくお店の玄関に塩を盛ったり、相撲の土俵に塩を撒いたりするシーンを見たりしますが、『塩はその場を清める』力があることで使用されたりします。あと自分の家などに望ましくない人物がやってきて、不愉快な思いをした時に、相手が帰ったら『塩を撒け!塩を』なんてセリフをドラマなんかでも聞いたことがあるかと思いますが、相手が持ち込んだ良くない影響を塩を撒いて消せという意味だそうです。
味噌の場合もそれらと似ているところがあり、発酵に必要な微生物を増やしたり、有害雑菌を寄せ付けないためであり、塩を入れることでほとんどの雑菌は活動出来なくなるということ。これはとても重要な役割をしていますよね。
比較的塩分の高い辛口味噌は12%前後でこの塩分の働きで微生物の働きを抑えられるため熟成期間が長くかかりますが、それだけ塩分が馴染んで、まろやかな『塩慣れ』した味噌に仕上がります。
また味噌作りにおいて、塩と麹はシーソーのような関係になっています。塩を増やすと麹を減らし、塩味や酸味、コクのある味噌が完成しますが、麹を増やすと塩を減らし、麹の甘味と旨味が優越になります。
塩の役割はとっても大切であり、麹や大豆と同じく、味噌作りにおいて、なくてはならない存在だということですね。
次回はさらに味噌と塩の関係について深く調べていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
今日は味噌において、大豆はどのような役割をするのか調べてみました。
大豆は味噌や醤油、納豆、豆腐など日本人にとって大変馴染みのある食物です。大豆は旨味成分を作る役割をします。なので味噌の出来栄えは大豆の善し悪しが左右します。良い味噌を醸造するためには、良い原料を使用することが必須条件ということですね。
では美味しいお味噌になる素質を持った大豆とはどのような大豆なのでしょうか。
それは、まずは国産であること。国産大豆は炭水化物やたんぱく質のバランスが良く『糖質の多い大豆の品質』であります。海外産の糖質の少ない大豆の品種では、甘みもコクもない味噌もどきなものができてしまいます。美味しい味噌には必ず糖分の多い大豆を使うことが甘く、コクのあるお味噌に仕上がります。国産でも大粒のもの、煮上がりが早く済むという理由で収穫から1年以内のもののほうがおすすめといわれています。大粒の方が大豆の皮の割合が少なくて済んで、雑味が減ります。
日本の大豆が優秀なことは世界でも有名で、明治時代初年、ベルギーの首都ブリュッセルで開かれた万国博覧会に出展したところ、これを分析した海外の学者があまりに豊富なたんぱく質の量に仰天し、『畑の肉』と評価したのは有名な話しです。大豆の表現する代表的なキャッチコピーとして有名ですよね。
炭水化物やたんぱく質の量以外でも大豆の吸収性の良さも影響します。どんな大豆でも長時間煮るとすぐにやわらかくはなりますが、色が悪くなる、たんぱく質が変質するなどの理由で好まれてません。吸収性を左右するのは皮の厚さですから、皮の薄いものが味噌用大豆とした適していることになります。
大豆のへそのいろも大切です。大豆のへそとは収穫される前に茎と繋がっていた部分です。
大豆はこのへそを通じて茎から養分を受け取り、さやの中で育っていました。まさに胎児と母体のような関係といえましょう。じつはこのへその色が味噌にとって異物混入と間違えられやすいので、いろの濃い味噌以外ではどの味噌メーカーでも色の白い大豆を使います。この他にも、粒が大きい、香味が豊か、煮上がったあとパサパサ間がないことなどが、味噌作りに適した大豆の条件としてあげられます。
『畑の肉』と呼ばれた日本国内で生産された大豆ですが、日本の流通する味噌の全体量からすると、ほんの10%にすぎません。これは絶対量が不足しているからであり、残りの90%は輸入に頼らざるをえないのが現状です。主な輸入先は、アメリカ、カナダ、そして今ではブラジルからも輸入されていますが、遺伝子組み換えをしていないものに限られています。かつては中国産大豆が国産に次いで味噌作りに適しているという理由で大量に輸入されていましたが、中国経済の発展に伴いい穀物政策の影響で中国大豆の価格が変動し、さらに原産地を気にする消費者も多く、輸入量は減っています。
どんなものにも当てはまることではあると思いますが、美味しい味噌を作るための大豆選びは、素材と鮮度の良さがとても重要だということがわかりました。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
参考資料:味噌大全 渡邊敦光
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
今日は味噌の歴史その②
室町時代から現代までに触れたいと思います。
室町時代(1336年~1573年)になると、急速に味噌が日本社会に浸透していったといわれます。大豆は中国大陸東北部を原産地とする作物で、土地が痩せてもいても栽培できる大豆・稗・粟の栽培奨励策が出され、それによって大豆の生産量が増えました。
自然栽培で作っていた麹菌も安定した麹菌作りが出来るようになってきたので、農民たちが自家製の味噌を作るようになり、味噌が保存食として、庶民の生活のも少しずつ普及してきました。また当時から定期的に襲ってくる干ばつや飢餓などの際、味噌を自家醸造して2年~3年分蓄えてあることが大きな支えとなったため、農家はもとより武家屋敷などでもみどの仕込みを定期的に行うことはたしなみとして奨励されるようになりました。
また現代に伝わる基本的な味噌料理のほとんどが、この時代に作られたと言われています。 『武家にては、必ず飯わんに汁かけ候』というように、ご飯に味噌汁をかけて食べるのが、普通だったようです。更に、室町時代に末期には、味噌を造る過程から醤油が発明されと言われています。
武将たちが天下を取ろうとしのぎを削った戦国時代。戦国武将は戦場での食料に味噌を持参しました。味噌は調味料であるとともに、貴重なタンパク源で、戦闘の能力はこれらのエネルギー源に大きく左右されます。戦場で保存可能な栄養食であったこともあり、味噌玉として携帯し、おかず変わりにかじったり、お湯にといて味噌汁にしたり、干したり、焼きなりして携帯しやすくしたて重宝されていました。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人と豆味噌が盛んな地方で生まれ、武田信玄が信州味噌の基盤を造り、伊達政宗の奨励した日本初の味噌工場『塩噌蔵(えんそぐら)』は今も仙台みそとして、その地方で愛され続けています。
戦国時代には『汁講』という味噌汁パーティーがあったそうです。客人はご飯を弁当箱に詰めて持参し、もてなす側の主人は味噌汁を用意し、鍋のまま客人の集う座敷に持ち出され、みんなで賞味し、酒を酌み交わす宴。歌ったり踊ったり楽しい時間を過ごしたと言われています。単に汁かけ飯を賞味し合っただけではなく、親睦や情報交換の場で、味噌がコミュニケーションツールになっているところに、社会への浸透ぶりが伺えます。
江戸時代に味噌は全ての日本人の日常の食生活に欠かせない調味料として定着していきます。江戸の人口が50万人に達し、味噌の需要に対して、江戸や近郊で取れる生産量では追いつかなくなり、三州味噌や仙台味噌が海路で江戸まで運ばれ、味噌屋は大繁盛しました。『味噌買う家は蔵建たぬ』という言葉があったように、武士・農民・商人は自家醸造しており、味噌を買うのは庶民だったようです。
『味噌の商品化』がおこったのはこの時代です。また、江戸の人口は女性より男性が多く、外食が発展し、味噌を使った料理も同時に発達していきました。味噌汁が庶民の味となって飲まれ始め、味噌が生活に馴染んでいき、『東海道中膝栗毛』には各地の味噌料理が紹介されます。
第二次世界大戦の頃に、味噌は貴重な米を使用することから製造は制限され、一般市民が味噌を製造することも禁止となっていた時代もありました。戦後の高度成長と共に人々の食生活が西洋化し、和食離れが起こりました。
昭和29年(1954年)に学校給食法が制定されると主に小学生を対象にパンを主食にメインの副食を動物性食品という組み合わせの給食を食べたことにより、学童の体格は身長・体重が飛躍的に向上し、その一方で、学校給食で育った世代は洋食やパンを好み、米飯中心の日本食から洋風食へと変わっていきました。これにより国民の米消費量が下降の一途を辿っていき、これにつれて味噌の消費量も落ち込んでいきます。
昭和45年一世帯当たり年間購入量 15.7㎏ 1人当たり 4㎏
昭和63年一世帯当たり年間購入量 10㎏ 1人当たり 2.7㎏
平成23年一世帯当たり年間購入量 6.2㎏ 1人当たり 2㎏
味噌の生産手段も大きな変化が起こりました。機械化の普及、温醸技術の確立、殺菌手段の進歩で味噌は『作るもの』から『買うものに』になり、味噌の容器は樽から冷蔵庫で収納しやすいカップへと変化します。だしを取る手間を省いても美味しい味噌汁を作ることができる『だし入り味噌』やフリーズドライの味噌汁も登場し、手軽に簡単な味噌汁が登場しました。
食の欧米化により今は味噌にとっては恵まれた環境とは言えない時代ですが、2012年日本の和食がユネスコの無形文化遺産として登録されたことにより味噌が国内でも再び、世界からも注目を浴び始めています。日本のみならず世界で健康志向が高まっていることから、海外からの需要も徐々に増えています。味噌はどのような国で輸出され、どのような国で注目を浴びているのか、またこちらのブログにてアップしたいなと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
参考資料:『味噌大全』 渡邊敦光 東京堂出版
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡まだまだ朝晩冷える日が続きますね。朝はやっぱりお味噌汁。僕の朝はいつも、生後三か月の愛犬と遊んでから、美味しいお味噌汁でエネルギーをチャージする”ルーティン”は米に毎日欠かせないです。
今回のブログは味噌の歴史その①です。
日本人にはとっても馴染みの深い、当たり前のように毎日飲んでいるお味噌汁は実は中国から伝来された説もあることを前回のブログで触れましたが、大陸から伝わった発酵技術も様々な試行錯誤を経て日本に根付き、日本独特の原材料と配合によって『味噌』が製造されるようのなってきます。その味噌の日本での歴史に触れたいと思います。それは遠い昔、飛鳥時代までさかのぼります。
飛鳥・奈良時代に遣唐使によって伝えられたとされる古代中国の醤は、大宝1年(701年)に天武天皇が定めた大宝律令の中に『醤院』のせいがあることから。当時の貴族の食生活の中に『醤』というものがあったことがわかります。『正倉院大日本古文書』には、地方から租税として『醤・未醤』を徴収していた記載があり、天平の時代になって庶民の間にも拡がっていたようです。また奈良・平安時代には『醤・未醤』の名前で地方の物産として使われており、この『未醤』という単語は中国の言葉にはなく、『醤』に日本人が手を加えた新しい調味料で、日本人が手を加えた新しい調味料で、現在の『味噌』にあたると考えられています。
平安時代に入ると、日本独自の調味料として『味噌』が登場します。『延喜式』(927年)に、当時の高級官僚には『味噌』は調味料として使うものではなく、食べ物付けたり、なめたり、かけたりして食べられ、また薬としても使われていたようです。当時の味噌はなかなか庶民の口には入らない高級品でした。贈答品としてお役人の家に届けられたという記述も残っているそうです。平安時代中期にに制定された律令の施行細目である『延喜式』には、京都東市の醤屋と西市の未醤屋が記載されています。この頃から京都発祥とされている白味噌が誕生し、甘味が強い白味噌は貴族達に好まれて食されました。甘い物が少なかったこの時代では白味噌は貴重品だったそうです。
『味噌汁』というあたらしい調理方法が誕生したのは鎌倉時代でした。当時の禅宗のお寺では、来日した中国の僧の影響もあってすり鉢が使われるようになりました。『粒味噌』をすり潰したところお湯に溶けやすく多くの食材との相性が良いことから、味噌汁として利用されるようになりました。この味噌汁の登場により、一汁三菜という鎌倉武士の食事の基本ができ、その後受け継がれていきます。しかしまだ武家や僧侶といった特権階級の食事であって、庶民に普及していくのは室町時代になってからでした。室町時代以降は味噌の発展その②でご紹介します。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
今日は味噌の誕生秘話やルーツを辿っていきたいと思います。
味噌は日本人の食文化を支えてきた日本にしかない伝統的発酵食品です。その味噌のルーツは、二つの説があり、一つは古代中国や朝鮮半島から渡ってきた調味料『醤(しょう/ひしほ)』と深い関係があるといわれています。
醤は獣や魚の肉をつぶし、塩と酒をまぜてつもに漬け込み、100日以上熟成させたもので、今の醤油やソースと同じように使われていたそうです。紀元前700年ごろの周王朝には醤を専門につくる役職があり、王家の正式な料理『八珍の美』(8種類の基本料理)には120かめもの醤が使われたと記録に残っているほどです。醤は大変格式のある高い調味料だったのです。紀元前1世紀頃になると、大豆や雑穀を発酵させた『鼓(くき/し)』が作られるようになります。
醤や鼓は630年遣唐使により中国から伝来したとされています。醤や鼓の文字が、初めて登場する『大宝律令』(701年)には、中国にはない『未醤』よいう言葉も見られます。これは、醤に日本人が工夫を加えた新しい調味料で、味噌の前進ではないかと考えらています。
これらの醤の源とされる食品は日本や東アジアを中心に数多く残っています(豆板醬、甜麵醬、コチュジャン、魚醤、草醤、穀醤(味噌のルーツ))。
味噌に発展したのは、日本独自で、醤になる前の熟成の途中のものが、とても美味しかったので、末だ醤にならずもの未醤(みしょう)みしょみそと変化したにではないかといわれています。
もう一つの説は大豆を使った味噌が、弥生時代(紀元前400年~250年頃)に誕生したと言われています。それ以降は、どんぐりで作った『縄文みそ』が、縄文人の生活跡から発見され、縄文時代後期から弥生時代にかけて、遺跡から穀物を塩蔵していた形跡も見つかっています。古墳時代(250年頃~590年頃)からは、麹発酵の技術を加えたものになったとされています。
中国伝統の味噌、『黄醤(ホワンジャン)』は、大豆と塩だけで作る大豆赤みそで、日本の麹に代わる材料はないことを考えると、醤を基に日本独自の発酵の方法として、麹を加えたのが味噌の始まりと考えられます。原点が中国、味噌の完成は日本ということですね。今日も最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
参考資料:味噌大全 渡邊敦光
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発酵のはじまり
こんばんはみそソムリエ川辺です☆彡コロナウイルスの影響で春の選抜高校野球までもが中止になりました。すごくショックで寂しいことですが、我々が出来ることはバランスの良い食事を摂ることや、しっかり睡眠もとって、出来るだけストレスを減らし、免疫力を上げ、健康でいることを意識して、ウイルスに負けないよう備えていくことですよね。一日も早く日常が戻ることを祈っています。
今日は私たちの生活に必要不可欠な発酵のはじまりについて。味噌や醤油にお酒、漬物、キムチ、納豆にパンやワインにチーズやヨーグルトなどなど、発酵食品は私たちの生活には、欠かせない食品ばかりです。食品だけではなく医療品や洗濯洗剤、環境浄化、石油、水素やプラスチックの生産などの様々な分野での応用が期待されているそうです。では人類はいつから微生物を利用し、発酵食品を誕生させてきたのでしょうか?そのはじまりは、はっきりとわかっていないそうですが、諸説は沢山あるようです。どの諸説も偶然の産物だといわれていて、どれも自然の力で偶然に発見したものだったと考えられています。
ある諸説では、発酵食品で一番古いものはお酒といわれています。最初のお酒は『猿酒』と呼ばれる、猿が樹木の木の穴などにためておいた果実が、自然発酵してお酒になったものだそうです。その様子を目の当たりにした古代人たちが、やがて発酵食品の暮らしを取り入れるようになったそうです。独特のニオイや酸味のあるものを最初におそるおそる口にした人は本当に勇気がいったでしょうね。英語で発酵を『Firmentaition』ラテン語で『沸く』『沸き立つ』という意味の『fervere』がもとになっています。アルコール発酵の時に炭酸ガスが泡のように盛り上がる姿から名付けられたと考えられ、このことから発酵食品の起源はアルコールだったという説が有力です。約8000年前からワインが作られていたと考えられていて、人類よりも古くから自生していたといわれるブドウの木から実が地面に落ちて潰れ、果皮に付いている天然の酵母によって勝手に発酵したことがワインの誕生のきっかけになったといわれています。その後潰れたブドウがヨーロッパでワインを醸造するまでに至ったそうです。
発酵乳も偶然の産物のようです。約6000年前から中央アジアの草原の遊牧民たちは、家畜の乳を生活に利用してきました。彼らはおそらく絞った乳が発酵し、今でいう乳酸飲料やヨーグルトのようなものを、変化するのを偶然発見し、利用したのでしょう。中央アジアの草原地帯は湿度が低く乾燥してため、カビや腐敗菌が発生しにくい気候ですが、乳酸菌が沢山生息しているらしく、乳酸発酵がスムーズに進みやすい環境だそうです。遊牧民の知恵と工夫のおかげで、大切な栄養源である乳を発酵し、長期保存できるようになったということです。
偶然の産物から先人たちの工夫や試行錯誤によって、今では当たり前にスーパーやコンビニで並ぶ味噌や醤油、ヨーグルトやチーズ、ワインにビールなどなどの栄養価の優れた食品に生まれ変わり、世界各地で伝統的に受け継がれている食文化を形成していったということですね。
では次回は味噌のはじまりについて触れていきたいなと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
参考資料:『発酵』小泉武夫(中公新書)
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こんにちはみそソムリエの川辺です☆彡
今回は味噌に深く関わりのある『発酵』について、深く調べて行きたいと思います。
味噌、醤油、漬物、納豆、チーズ、ヨーグルト、パン。私たちの生活の周りには発酵食品が溢れています。この栄養価の高い発酵食品が私たちの健康を支えているといっても過言ではないと思います。ここ数年、健康意識の高い人が増えてきて、それに伴って味噌やその他の発酵食品がテレビやメディアで取り上げられることもよく見られるようになりました。味噌屋に勤めるものとしては嬉しい限りです。健康にとって欠かせないこの『発酵食品』の『発酵』とは何なのかをご紹介しましょう!
発酵とは・・・目には見えない微生物(菌)が活動することによって、物質が変化することをいいます。微生物は活動するエネルギーを得るためにエサを食べ、違うものにして、排せつします。この排せつした物が人間にとって、価値が高いのです。発酵は人間の身体に好影響をもたらす善玉菌(発酵菌)が増えるということ。逆に、『腐敗』は食材の味を落としたり、人間の身体に悪影響を与えたり、食中毒を引き起こしたりなど、悪玉菌(腐敗菌)が増えて、人間にとって良いことはなにもありません。発酵も腐敗はも”微生物が増える”という過程では同じではありますが、微生物が違うだけでもこんなにも違いがあるんですよね。発酵によって得れる価値・メリットとは何なのか。
【発酵の5つのメリット】
①美味しさUP
微生物の働きによって、食材が発酵すると人間にとって有益な旨味や香り、甘味などの美味しさがUPします!
②栄養価UP
発酵の過程で食材にビタミンなどの新たな栄養分が付加されます。そのため、発酵前よりも栄養価がUPします!
③保存性UP
発酵によって、増える微生物は、他の菌の繁殖を抑えて微生物のみを増やそうとします。そのため有害な腐敗菌の増殖が抑えられ、食べれる状態で長期間、食物を保存することが可能になります。
④吸収率UP
発酵で微生物が生成する酵素の働きで、たんぱく質やデンプンなどが分解され、栄養素として吸収されやすくなります。
⑤腸内環境改善
発酵食品は腸内環境のエサとなるオリゴ糖や食物繊維を多く含みます。そのため、腸内環境の改善に役立ちます。
もともと発酵は、保存技術のない時代に食材を保存するための技術として考えられ、発展してきました。しかし今では、それにとどまらない多くの魅力を持っていることがわかりましたね。次回のブログでは発酵の歴史についてもご紹介したいと思います。最後まで読んで頂きありがとうございます☆彡
参考資料:『発酵』小泉武夫(中公新書)